【広島県竹原市】さくらさく、竹原へ!そして「たまゆら」をもとめて

宿根の大桜(広島県竹原市)まち歩き
宿根の大桜(広島県竹原市)

はじめに

春本番になりました。

天気がいいので、春らしくお花見見物に行きましょう!

ということで、さくらを追っかけて竹原市内を散策することにしました。

レッツお花見!

ちなみにお花見は、2022年4月9日にしましたm(__)m

1 ひたすら国道185号線を歩いた先は?

(1)竹原駅を降り立ち

電車に乗り、竹原駅で下車しました!

ただいま!竹原!!

ちなみに、快速「安芸路ライナー」広島行。227系の広ヒロA-33でした。

そして、竹原駅前商店街のあいふる316の守り神であるももねこ様にご挨拶。これからの無事を祈願しました(笑)

市内に空き地が。ここには、前に竹原市立竹原書院図書館が入居していた福祉会館があったのですが、、、公園になっていました。

ちなみに、図書館は北へ約1キロのフジ竹原店のとなりのとなりに入居しています。この図書館は私もよく使いました。お世話になりましたし、これからもお世話になります。

竹原が生んだ宰相・池田勇人氏の銅像は残されていました。所得倍増計画を提唱し、戦後の高度経済成長を実現した総理大臣です。今の日本経済の礎はこの方が築いたのです。

芝生は養生中でしたが、いずれ市民の憩いの公園になることでしょう。

(2)竹原市内を流れる賀茂川沿い

竹原市内には、賀茂川という川が流れているのですが、ここもさくら並木があったのですね。新たな発見でした。とてもきれいです!

しばらく国道185号線を歩くと、朝日山登山口が見えてきました。

2 朝日山のきつい山道を昇ると?

(1)朝日山の山道を、、、

最初は緩やかな山道でしたが、徐々に勾配がきつくなっていきました。コロナ禍であまり運動できていなかったので、かなりきつかった( ;∀;)。でも、無心になり、ひたすら登り続けました。

山道を登っている途中に、山肌が現れているものがありました。大昔、地すべりが発生したのでしょうか?とても気になります。

(2)宿長谷遺跡と東永谷たたら製鉄遺跡

歩いていると、途中に遺跡が2つあります。1つは宿長谷遺跡、もうひとつは東永谷たたら製鉄遺跡です。

宿長谷遺跡ですが、実際見てみるとだたの山肌が広がるだけで、遺跡っぽくありません。しかし、広島県の埋蔵文化財包蔵地一覧表によると、弥生土器が出土したようですね。弥生時代にここに人々が生活していたことを表しているのでしょう。

次に、東永谷たたら製鉄遺跡です。

竹原市のホームページによると、次のことが書かれてありました。

「発掘調査してみると、鉄を溶解する炉はすでに壊されてなくなっていたが、炉の地下にある保温、除湿用の施設が見つかった。その構造は、平坦面を掘り下げた中に幅0.7メートル前後で向かい合う2つの壁(長さ3.9メートル・幅0.3メートル・高さ0.8メートル)を作り、その間に焼き土、木炭を詰め、台状の施設を作り、その上に製鉄炉を築いていた。その長軸の両側に鉄滓を流し出して廃棄するための土坑を設け、炉の短軸を挟んで鞴を設置していたようだ。

原料は砂鉄で、炉に砂鉄と木炭を交互に挿入し、燃焼させた。千数百度で砂鉄は溶け、おそらく銑鉄が生産されたものと見られる。

炉の地下施設の形から、中世後半の15から16世紀頃に操業されたことがわかる。

通常、古代以来の製鉄は中国山地が有名で、後にたたら製鉄として発展したことがよく知られている。中世製鉄に関しては、小早川氏同族の吉川氏の領地が鉄特産地であり、その関係で小早川氏領地でも生産が始まった可能性が高い。」

たたら製鉄は、鎌倉時代から広島県北(今の北広島町)が盛んであり、ここは小早川隆景の兄、吉川元春の本拠地でした。ここは原料となる砂鉄がよく取れ、小早川隆景は吉川元春より融通してもらったのでしょうか?案内版によると、1596年にここで製造された鉄を豊臣秀吉に献上した、と書かれていました。秀吉に献上できるくらいに良質な鉄が製造出来たのでしょう。

残念ながら、2018年に発生した西日本豪雨のためそこへ向かう橋が流され、遺跡を見ることができませんでした。

復旧されるならば、ぜひ見に行きたいですね。

(3)宿根の大桜

しばらく歩くと、宿根の大桜があります。今日のメイン、これを見にきたのです!

ひろしま竹原観光ナビによると、次のことが書かれてありました。

「竹原市中心部から車で約10分の下野町大井・宿根地区に、樹高15m、枝張り19mを超える大桜があります。樹齢200年以上。2014年に、市で初めて天然記念物としての市重要文化財に指定され、県下3番目の巨木とされています。」

アニメ「たまゆら」に登場したこの大桜。一気に有名な観光スポットになりました。

江戸時代から、この地を見守ってきたのですね。

本当に大きく、きれいなさくらでした。品種がソメイヨシノではなく大江戸彼岸桜ですので、色がやや白っぽいのですが、これはこれで美しさを感じさせてくれました!

まわりもさくらが植えられており、目を楽しませてくれました。

(4)朝日山山頂

ここからの山道は、さらにきつくなります。さすがに足がガクガクになりそうでしたが、無心な気持ちにしてひたすら足を進めていきます。

しばらくすると、朝日山山頂に到着!

標高は454メートル。歩いた距離は約6キロメートル。いやー、疲れましたが、達成感がありますね。

ここもさくらがきれいに咲いていました。

ここも花見のスポットでした。ここから一望できる竹原の街はいいですね!

3 竹原市内のさくらはどんなかんじでしょう?

(1)九郎神社

朝日山を降りてきて、とある神社に出会いました。

九郎神社です。

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と源義経とが合祀された神社で、1887(明治20)年にここ大井郷へ移住してきた氏子がここで移設されたもののようです。

この神社の由来が名板に書かれていましたが、少々難解でしたので、私なりにかみ砕いて説明していきましょう。

保元物語、平治物語、平家物語そして吾妻鏡に後藤兵衛実基が登場します。彼が平家滅亡の数年後に京都から郎党(家来)を引き連れてこの大井の地の西隣の毛木浦に船でやってきます。ここには市杵島姫命の神社があり、主君である義経の栄誉と数奇な運命を偲んで合祀されたのです。

この実基は彼の養子である清基とともに主君である源義経に従い、源平合戦の中で屋島の戦そして壇ノ浦の戦に参戦します。その後、主君の義経は兄の源頼朝の政治的圧力に屈した奥州の藤原泰衡に滅ぼされてしまいました。

これが原因なのか不明ですが、実基は京都での家督を清基に譲り、この大井の地にやってきます。この地を含む「竹原の庄」は当時イザコザが発生しており、それを鎮めるためここの豪族たちが君臣の礼をもって彼は迎えられたのです。

そして実基は「地頭職」になり、のちに「竹原殿」となったのです。

では、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とはどういう神様でしょうか。

彼女はアマテラスとスナノオが誓約の時、アマテラスがスサノオの剣を嚙みそして噴き出した霧が3女神を生み出し、その1人だったのです。宗像三女神のひとりです。

商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣そして海の神様として信仰されています。

境内はとてもきれいで、よく管理されていると思いました。ここもさくらがきれいに咲いていました。

神社とさくらはよく似合いますね!

(2)再び賀茂川沿い

賀茂川沿いを歩いてみました。行きに賀茂川のさくら並木がきれいでしたので、歩いて見ようとおもったのです。

ここのさくらもいいですね。休憩しながらじっくり歩いて観察しました。

そして、たまゆら~hitotose~のオープニングにでてくる、賀茂川の河口まできました。

まさに、アニメの1シーンを見ている感じですね。竹原に来ると、よくくるスポットの1つです!

(3)照蓮寺にて

最後に、町並み保存地区にある照蓮寺にやってきました。

ここのさくらも有名で、正門とさくらの対比がとてもいいですね!季節柄、観光客がいました。コロナ禍が収まったら、もっと来てほしいですね。

4 おまけ、道の駅たけはらでは

たまゆらコーナーが健在で安堵しました。

そして、たまゆらのマンホールの蓋があるようですね。道の駅たけはらにて入手したマンホールカードによると2019年に設置されたようです。

お店の方に頼んで、たまゆらのマンホールカードをGetしました!

最後、227系RedWingは広ヒロS-19でした。

おわりに

竹原市内はさくらの名所がたくさんですね。今回は行きませんでしたが、バンブージョイハイランド(最寄り駅はJR呉線・大乗駅)も見事なさくらの名所です。次回、来年になりますがさくらを愛でにいきたいですね。

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